uhrongchya2005-06-02


きょうは、えびに触発された*1ので、





オリジナルについて書きたいと思います





以前からayanさんのブログで「オリジナル」について考えさせられたことがあって、





それから書きたいなあとは思っていたんですが、どうしても私的日記は毎回





笑いのほうに走ってしまいまして(爆死)









・・・では本題に入ります









オリジナルってのは・・・んー。。。













辞書的な意味の「オリジナル」はもう今の時代には無いと思います。
曲を作るとそれはよく分かります。絵を描いてもそれは同じです。 どんなにオリジナルを求めても、どこかに、無意識のうちに自分が影響を受けたアーティスト*2の香りは残っています。 そして、その影響を受けたアーティストたちもまた、何かから色濃く影響を受けているわけです。 俺の事で言えば
俺はGLAYに色濃く影響を受けていて、そのGLAYはBOWWYやblur、SEX PISTLES、BEATLES

といった数多くのアーティストにに色濃く影響を受けていて、そしてその彼らはまた根底に

ブルースであるとかクラシック、色々な国の文化レベルの音楽に影響を受けているわけです。
簡単に話してしまいましたが、音楽面でしか影響を受けていないということはありません。 TERU*3は歌を歌うことのほかに絵を描くのがとても好きです。彼のセンスは驚くものがあります。彼は少年時代に読んだマンガに影響を受け、絵を小さい頃から描いていました。今では、アンディ・ウォーホルに色濃い影響を受けています。 そのアンディ・ウォーホル*4もまた、影響を受けているモノやヒトがいるわけです。 このたとえには終わりがありません。 ここまでは辞書的な意味での『オリジナル』の話。 ここからは意味の異なる『オリジナル』の話 ヒトが感受性という良くもあり悪くもある「宝」を持っている限り、「影響を受ける」「影響を与える」*5というすばらしいことは無くなることはないからです。 生きていれば、それだけ新しい刺激を受けます。 たとえば、「考え」って変わるでしょう? しかし、「いや、絶対に私は変わらない」と言う方も居るでしょう。 それは気づいていないか、認めていないだけです。それはなぜ? なんだか、「考えを変える」という「響き」はなんだかダメなイメージがあります。 しかし、それは大きな間違いです。「流されやすいからダメ」なのではなく「新しい解釈を得た」ということなのです。 「新しい解釈を得た」からといって、今までの考えを払拭し、完全に失くしてしまうなんてことは無いのです。 そこに、自分の考えが付くわけです。 そしてそれは、どんどん積み重なってゆき「踏みしめるのに頼りのある大地」となるのです。 だから「オリジナル」っていうのは「盗作」とか「パクリ」とか「オマージュ」とか「パロディ」とか、そんな安易な言葉はついてこれない次元のものだと思います。 『「オリジナル」っていうのは、絶対であり絶対でない』 と思います。 ヒトは、影響を受けることによって、「良いもの」も「悪いもの」*6*7生み出せる生き物なのです。 これは、異なる『オリジナル』の話。 ふたつの「オリジナル」について長々と書きました。。。。 が、 あくまで俺みたい浅い人間の意見なんで。。。 偉そうにタラタラとすみません。。。。 でも、書きたかったので。目を瞑っていただければ幸いです。 では、明日の私的日記まで、再見。

*1:あいつ凄いよね!色んな人触発されてるもん

*2:広い意味で

*3:GLAYのボーカル。アツイ男。

*4:ポップ・アートの先駆者。「シルクスクリーン」と呼ばれる版画を数多く残している。また、映画監督でもある。代表作:マリリン・モンローエルビス・プレスリー

*5:良くも悪くも・・・ですが

*6:ここでいうのは、「ヒトに影響を与えるコト」です。

*7:んまあ、そういうのは主観によりますが・・・